月への試練と耐久試験

【vol.3】問題発生も作戦の手がかりに。「放射線試験(シングルイベント)」レポート

2016.05.25

ローバー(月面探査ロボット)は完成するまでに様々な試験を実施する必要がある。どんな試験を行っているのか。なぜ試験が必要なのか。このシリーズでは、そんな疑問に答えていきたい。前回の放射線試験(トータルドーズ試験)に続き、今回は2016年4月8日に放射線医学総合研究所にて行われた放射線試験(シングルイベント試験)についてレポートする。

2つの放射線試験、トータルドーズとシングルイベントの違い

放射線試験には2種類ある。「トータルドーズ(Total Dose)」試験と「シングルイベント(Single Event)」試験だ。トータルドーズとシングルイベントは、どちらも半導体部品に特有の現象であるが、原因となるメカニズムがまったく異なるため、それぞれ別々に試験を行い、問題がないかどうか確認する必要がある。

前回の記事で紹介したトータルドーズは、放射線が当たることで電離(電子の分離)が起き、電荷が蓄積して性能が徐々に劣化する現象である。この性能低下は恒久的なもので、時間が経過しても回復することはないが、Google Lunar XPRIZEのミッション期間は非常に短く、年単位の探査機 / 人工衛星ミッションに比べれば、条件としてはそれほど厳しくはない。

一方、今回のシングルイベントは、高エネルギーの荷電粒子(プラスやマイナスの電気を帯びた粒子)によって引き起こされる現象である。「シングルイベント」という名称から分かるように、発生は単発的で確率的だ。

シングルイベントによって起きる現象は様々。その一つが「ビット反転」だ。コンピューターのプログラムやデータは、0と1の集まり。ビット反転は、0が1に、あるいは1が0に逆転してしまう現象で、これが起きると、プログラムが誤動作してしまう。

ビット反転はソフトウェアの問題なので、リセットすれば直すことができる。より深刻なのは、シングルイベントによってハードウェアの問題を引き起こした場合だ。トランジスタ(増幅やスイッチのオン / オフを制御する半導体素子)が誤作動し、大電流が流れてしまい、回路が焼き切れてしまう場合もある。こうなると、もう直すことはできない。このような事態を防ぐためにも、試験を念入りに行う必要があるのだ。

今回は、放射線医学総合研究所にて行われたシングルイベント試験に同行。試験を担当したHAKUTOチームの田中利樹氏に話を伺った。

試験が行われた放射線医学総合研究所
試験の主担当を務めた、HAKUTOチームの田中利樹氏(左)

異常の頻度から設計でカバーできるかを見極める

トータルドーズ試験は、コバルト60のような放射性物質さえあれば試験ができる。しかし、高エネルギーの荷電粒子を用いるシングルイベント試験では、加速器のような特殊な設備が必要。試験としては、かなり大がかりなものになる。

今回の試験では、放射線医学総合研究所の大型サイクロトロン(高周波電圧を使って粒子を加速する装置)を使用した。この装置は主に、放射性薬剤の製造や研究に使われているものだという。

月面上では、10〜100MeV(※1)の陽子が飛び交っているということで、試験ではその代表値として、40MeVと70MeVの陽子を照射。試験対象はトータルドーズ試験と同じく、CPU基板、赤外線距離センサー、ネットワーク中継器の3種類で、それぞれに対し、2回(40 / 70MeV)の照射試験を行った。月面での状態を再現するために、試験はローバーを通電した状態で実施し、別室で動作をモニタリングした。

これは照射部で、加速器本体は別室に設置されている

※ 1:eV(電子ボルト)は、粒子のエネルギーを表す単位。粒子の種類が同じであれば、高速なほどeVが大きい。

別室でモニタリングを行う

照射する時間は、1回あたり30分ほど。Google Lunar XPRIZEのミッション期間である2週間分の被曝を模擬するために、単位時間あたりの粒子の数を実際の数百倍に増やしている。これで試験時間を短縮しているわけだ。照射する速度については研究所の職員と交渉をしながら詰めていったという。

この試験で確認したかったのは、どのくらいの頻度で異常が発生するのかということ。田中氏は、「1時間に1回なのか、1日に1回なのか、それとも10日に1回なのか。異常の頻度によって設計でカバーできるかどうか変わってくるので、それを見極めたかった」と、試験の意図を説明する。

大きな異常が発生しなかった一方で、意外な問題も発覚

試験の結果であるが、ネットワーク中継器では異常は発生せず。CPU基板と赤外線距離センサーは、70MeVのときに1回異常が起きた。田中氏は「数時間に1回以上の異常が起きたとしたら、部品を変更する必要がある」と試験前に考えていたそうだが、結果は「2週間に1回」だったわけで、これならまったく問題はない。

CPUは、集積化が進むことで性能が向上してきた(※2)。しかし、それは回路の配線幅がどんどん細くなることであり、新製品になるほど放射線に対する耐性は低下するとも言われている。ガムテープの幅に1cmの穴が空くのと、セロハンテープの幅に1cmの穴が空くのとでは、ダメージが違うようなものだ。HAKUTOは現在、800MHz動作の高性能なCPUを使うことを計画しているが、もし耐性が十分でなければ、20MHz動作の旧世代CPUを使わざるを得なかった。

※2:半導体の世代が1つ進むと、回路の配線幅は約0.7倍になるので、トランジスタ数が同じなら面積を半分にでき、面積が同じなら2倍の数のトランジスタを搭載できる。

高速なCPUであれば、それだけ複雑な処理が実行できる。Google Lunar XPRIZEのミッションでは、HD画像を扱う必要もあり、CPUはなるべく高性能なものを使いたい。田中氏は、「使用予定のCPUが、必要な放射線耐性があることが確認できた。重要なデータが得られて嬉しい」と感想を述べる。

発生した異常はリセットで復旧できており、ハードウェアのダメージはなかった。これも良い結果だ。HAKUTOのローバーには、CPU基板を2セット搭載する予定。一方に異常が起きればもう一方に切り替えるわけだが、リセットですぐ回復するような異常であれば、2台体制での運用を継続できる。

一方で、意外だったこともあった。CPU基板に異常が発生したときはOSが丸ごとダウンするだろうと予測していたが、今回、OSは一見正しく動いているようで、実は一部の機能だけが使えなくなっていた。完全に動かなくなるのであれば異常を見つけやすいが、これだと見逃してしまう恐れがある。

手前が今回試験したCPU基板

「異常の起き方がわかれば、それに対応した工夫をローバーに入れればいい。今回の試験により、そういう作戦をより深く考えられるようになった」と田中氏は述べる。今回発生した問題については、定期的にリセットする、細かくチェックするなどの対策を考えているという。

ローバーは、自動で復旧できるようにしておくことが非常に重要だ。月面との通信には数秒の遅れがあるため、もしシングルイベントで過電流が発生すれば、地上からの指示を待っている間に回路が壊れてしまう。自ら異常を見つけてすぐに対処できれば、ハードウェアの故障を防げるかもしれない。今後は、そうした機能の実装にも注力していくつもりだ。

「自分の設計が正しかったかどうか証明したい」

田中氏がHAKUTOのローバー開発に関わり始めたのは2015年の4月から。それ以前は、東京大学で超小型衛星の開発を行っていた。衛星開発の経験を活かし、現在HAKUTOでは電子回路の設計や、熱設計などを担当している。

田中氏が開発に関わった超小型衛星「ほどよし3号」と「4号」(提供:次世代宇宙システム技術研究組合)

熱設計というのは、外部環境との熱のやりとりをうまく制御して、内部温度を一定のレベルに保つようにすることだ。熱すぎても寒すぎても機器は壊れてしまう。詳しくは、次回の熱真空試験のレポートで説明したいが、田中氏によると「ローバーも衛星も基本的な考え方は同じだが、いざローバーを設計してみると、『熱源としての月面がすぐ下にある』ことの影響がすごく大きかった」という。

田中氏がHAKUTOへの参加を決めたのは、「国際的なプロジェクトが魅力的だったから」とのこと。Google Lunar XPRIZEの競争相手は全て海外チーム。そして、HAKUTOのメンバーは多国籍だ。「走行試験の前はみんなで一丸になってローバーをメンテナンスする。大変だけど合宿みたいですごく楽しい」と充実した表情を見せる。

「本番では緊張するタイプ」とのことだが、まずは月面でのローバー走行を成功させて、「自分の設計が正しかったかどうか証明したい」と田中氏。「日本だけで閉じると自分の世界が狭くなってしまう。世界相手に色々な人を巻き込んで、活動するフィールドをどんどん拡大していきたい」というのが現在の夢だ。

PROFILE

大塚実 / MINORU OTSUKA

PC・ロボット・宇宙開発などを得意分野とするテクニカルライター。電力会社系システムエンジニアの後、編集者を経てフリーに。最近の主な仕事は「完全図解人工衛星のしくみ事典」「日の丸ロケット進化論」(以上マイナビ)、「人工衛星の"なぜ"を科学する」(アーク出版)、「小惑星探査機「はやぶさ」の超技術」(講談社ブルーバックス)など。宇宙作家クラブに所属。

撮影
櫻田亨、大塚実

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