ローバー(月面探査ロボット)は完成するまでに様々な試験を実施する必要がある。どんな試験を行っているのか。なぜ試験が必要なのか。このシリーズでは、そんな疑問に答えていきたい。前回は振動試験について紹介したが、今回は2016年3月31日、東京工業大学大岡山キャンパスにて行われた放射線試験(トータルドーズ試験)についてレポートする。果たして、ローバーは宇宙の放射線量に耐えられるのだろうか?

目には見えない脅威、「放射線」

宇宙は地球とはまったく違う環境である。まず、ぱっと思いつくのは「空気がない」ということだろう。これは人間にとっては死活問題だ。当然ながら、空気がないと人間は生きていけない。人間が宇宙空間で生活するためには、空間の内部を空気で満たす必要がある。

では、ローバーのような無人機にとってはどうだろうか? もちろん、ローバーは呼吸しないので、空気がなくても酸欠で死ぬようなことはない。だが、宇宙には電子機器にも生命にも有害な「あるもの」が存在している。実は、地球の大気にはそれを防いでくれるという重要な役割があるのだ。

その有害な「あるもの」というのは、宇宙空間を飛び交っている放射線である。放射線と一口に言っても、その正体は、陽子、電子(ベータ線)、ヘリウム原子核(アルファ線)、電磁波の一種であるエックス線やガンマ線など、種類は様々。これらは、太陽が起源のものもあれば、太陽系外から飛来しているものもある。

地球上の空気はスカスカに見えるが、実はその大気の厚さは何10kmもあり、ほとんどの放射線は、地表に到達する前に分子に衝突して止められてしまう。私たちは、深い空気の海の底に住んでいるようなものなのだ。また、地球には強い磁場がある。プラスやマイナスの電気を帯びた粒子は、磁場の中を通るときに力を受け、コースが逸れる。地球の大気と磁場、この二つによって地上は放射線から守られているというわけだ。

国際宇宙ステーションの高度は大体400km。このくらいの低い軌道であれば、大気はほとんどないものの、磁場の「傘」にはまだ守られている。だが、月面には、大気も磁場もないので、宇宙放射線をそのまま浴びることになる。これに耐えられるかどうか確認するために実施するのが、放射線試験である。

今回は、東京工業大学大岡山キャンパスにて行われたHAKUTOのローバーの放射線試験(トータルドーズ試験)を潜入取材。試験を担当したHAKUTOチームのネイサン・ブリトン氏に話を伺った。 

放射線が引き起こす問題の一つ、「トータルドーズ」とは?

放射線が引き起こす問題には、「トータルドーズ(Total Dose)」と「シングルイベント(Single Event)」の二種類がある。それぞれ試験を行う必要があるのだが、今回実施したのはトータルドーズの試験だ(もう一つのシングルイベントについては、次回のレポートで紹介する)。

ローバーや人工衛星には「頭脳」に相当するコンピューターが搭載されており、プログラムに従って各部を制御しているのだが、その重要な構成要素であるCPUやメモリに使われているのが半導体。半導体は、電気が流れる導体と、流れない不導体(絶縁体)の中間の性質を持つことから、こう名付けられている。

トータルドーズは、放射線によりこの半導体部品が劣化する現象である。放射線を浴び続けることで、半導体にダメージが蓄積し、それが限界を超えるとCPUやメモリが使えなくなってしまうことがある。今回の試験では、ローバーに搭載予定の電子機器に放射線を照射することで、放射線への耐性を確認。放射線源はコバルト60と呼ばれる、ガンマ線を放出する物質だ。

試験は1時間ずつ3回実施。線源からの距離を、1回目は1m、2回目は70cm、3回目は57cmと近づけていき、それぞれ、3.5krad、7krad、10kradの線量を浴びせた(※1)。

※1: rad(ラド)は吸収線量の単位。3.5krad=3500rad=35Gy(グレイ)は、胸部レントゲン写真を数十万枚撮影したレベルになる。

なお今回の試験対象は、CPU基板、赤外線距離センサー、ネットワーク中継器の三つ。放射線を浴びせる最中にもこれらの機器を動作させ続け、異常がないかネットワークを介してモニター越しに監視できるようになっていた。

将来のミッションを踏まえ、どこまで耐えられるかの限界へ

なぜ試験を3回に分けて実施したのだろうか? それには理由がある。本来、Google Lunar XPRIZEのミッションでは、1回目の3.5kradの放射線量に耐えることができれば十分だった。なぜかというと、ロケットで打ち上げられ、地球をドーナツ状に取り巻くバンアレン帯(放射線が強い領域)を通過し、月面で2週間活動するときに浴びる総線量が3.5kradであるからだ。

2回目に7kradの放射線量で行った試験は、将来のミッションを見越して実施したものである。月に行くとき、必ずバンアレン帯を通過することになるが、軌道によっては、一度だけではなく数回通過することも考えられる。このときに増える総線量を考慮したのが2回目の試験だ。また、3回目の試験は、どこまで耐えられるか限界を試すための試験である。これは壊れることも覚悟の試験で、3回目終了時には総線量が20kradを超えた。今回の試験を担当したブリトン氏によれば、「赤外線距離センサーは壊れるだろうと思っていた」とのことだが、意外なことに最後まで動き続けた。

赤外線距離センサーは壊れなかったものの、計測データには異常も見られた。このセンサーは、赤外線LEDと赤外線カメラを使い、前方の3Dデータを得ることができるものだが、立体像に歪みが生じ始めたのだ。ただ、1回目の試験ではこの歪みは大きくなく、Google Lunar XPRIZEのミッションとしては問題ないという。

試験の結果は、「本当に良い結果だった」とブリトン氏。放射線への耐性が確認できたことで、Google Lunar XPRIZEミッションで機器を使える目処がついた。今後、今回試験の対象外だったほかの電子機器についても順次試験を行い、確認を進める予定だ。

「Google Lunar XPRIZEは決して不可能なミッションではない」

ブリトン氏がHAKUTOのローバー開発に関わり始めたのは2009年の夏。3か月間のインターンシップで、フランスの大学から東北大学の吉田研究室に来たときのことだった。当時、プロジェクトはまだ始まったばかり。まず任されたのは、10kgのローバーが実現可能なのかどうか検討することだったという(現在の目標重量は4kg)。

もともと、宇宙ロボットに興味があったというブリトン氏。吉田教授からGoogle Lunar XPRIZEの話を聞いた瞬間、「自分がやりたい」と真っ先に手を上げたそうだ。HAKUTOのローバー開発に関わることになった後、一旦日本を離れることもあったが、「HAKUTOプロジェクトをどうしても続けたかった」ため、2010年に再び来日。東北大学にて、1年目は研究生として、そして翌年からは博士課程に入り、本格的にローバー開発に取り組んだ。

このとき、吉田教授からは「1年以内にローバーを作れ」と言われたという。ブリトン氏は専門分野が情報科学なので、ソフトウェアのことには詳しいものの、ハードウェアのことは当時よくわからなかった。機械に詳しい同僚にプログラミングを教える代わりに、はんだ付けの方法やドリルの使い方などを教えてもらい、知識を身につけていったそうだ。

「Google Lunar XPRIZEは決して不可能なミッションではない」とブリトン氏は言う。無事に月面に着いて、走り出すことさえできれば、おそらく数時間でゴールできてしまう。「HAKUTOのローバーは2週間活動できる設計になっているので、ゴールした後でも何kmも走ることができる。クレーターの中に入ることもできるかもしれないですね」とブリトン氏は期待する。

「ほかの参加チームに説明しても、たった4kgでそんなに高性能なローバーを作れるって、誰も信じてくれないんだよ」とブリトン氏は笑う。こんな小型ローバーでも月面でちゃんと活動できる、ということを実証できれば、民間による経済的な月面開発が、夢から現実に変わる。Google Lunar XPRIZEはその第一歩なのだ。

PROFILE

大塚実 / MINORU OTSUKA

PC・ロボット・宇宙開発などを得意分野とするテクニカルライター。電力会社系システムエンジニアの後、編集者を経てフリーに。最近の主な仕事は「完全図解人工衛星のしくみ事典」「日の丸ロケット進化論」(以上マイナビ)、「人工衛星の”なぜ”を科学する」(アーク出版)、「小惑星探査機「はやぶさ」の超技術」(講談社ブルーバックス)など。宇宙作家クラブに所属。 撮影 

撮影
櫻田亨、大塚実

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