ムッタが訊く!【第2回】HAKUTOローバー誕生秘話を、東北大学吉田教授に訊いた!

みなさんこんにちは。南波六太です。おかげさまで大好評の「ムッタが訊く!」。いろんな宇宙の専門家に、私、南波六太が直撃。ややこしい宇宙の話を、わかりやすーく聞いていきます。
今回のゲストは、ispaceの取締役CTOを務める、東北大学大学院工学研究科の吉田和哉教授。宇宙探査ロボットの第一人者で、HAKUTOのローバー開発にも初期段階から深く携わっています。吉田教授の人となりや宇宙探査ローバーの歴史、そして、HAKUTOとの出会いなど、色々な話を聞いてみたいと思います。

【前編】ずっと宇宙が好きだったからこそ、チャンスを見逃さなかった

2016.10.27

南波六太

宇宙飛行士。自動車設計会社を経て、宇宙飛行士選抜試験に合格。CES-66ミッションクルーに任命される。宇宙飛行士の南波日々人は弟。

吉田和哉教授

東北大学工学研究科教授。ispace取締役CTO。宇宙ロボットの力学と制御を専門に、小惑星探査機「はやぶさ」、月面探査ローバーの開発などに参加。

吉田和哉教授(以下、吉田):今日は、わざわざ仙台までお越し頂いてありがとうございます。

南波六太(以下、ムッタ):とんでもないです。宇宙探査ローバーの第一人者と話ができるので、ワクワクしています。

吉田:僕もワクワクしています。

ムッタ:僕は子どもの頃から宇宙が大好きだったのですが、吉田教授も同じように、宇宙が大好きな子どもでしたか?

吉田:もちろんです。僕は1960年生まれ。8歳のときに、アポロ11号の月面着陸を見たんですよ。眠いのをガマンしながら見たテレビは、白黒で画面は乱れていたけど、とても興奮したのを覚えています。

吉田和哉教授

ムッタ:僕もライブで見たかったですね。

吉田:その後も、1971年には火星の大接近があったり、大接近した火星の側で皆既月食が見られたりと、様々な天体ショーがあったんですよね。そういえば、1972年にはジャコビニ流星群もあったな。これは不発だったんだけど……。天体望遠鏡を買ってもらって、星空観察をしていました。大きな転機は、高校1年生の文化祭ですね。

ムッタ:何があったんですか?

吉田:東京天文台、今の国立天文台の古在由秀先生が講演を行い、ビックバン宇宙の話をしてくださったんです。子どもの頃のワクワクが再燃しました。家に帰ったらすぐに天体望遠鏡をのぞき込んで、星空を観察しました。

ムッタ:そこから本格的に宇宙に携わる将来を見据えるわけですね。あれ、でも教授は東工大の工学部出身ですよね。

吉田:残念ながら、宇宙を学べる理学部には合格できなかったんですよ。それでも「天文研究部」に入って、天体観測は続けていたんですけどね。

ムッタ:じゃあ、工学部でなにかしら宇宙に関する研究を……

吉田:していません。私が大学に入った1981年当時は、産業用ロボットが注目されていました。それで、ロボット工学の研究を始めたんです。宇宙と関わるのは、大学院の博士課程に進むとき。教授が「君は宇宙が好きなのだから、宇宙で活躍するロボットをテーマにすればいいじゃないか」と。

ムッタ:ここでやっと宇宙が出てくるんですね。

吉田:その時の教授とは梅谷陽二先生。今でもロボット工学のスペシャリストです。当時、宇宙開発で話題になっていたのはスペースシャトル。スペースシャトルにはロボットアームが搭載されていたのですが、日本でもなにかできないかと宇宙開発事業団が有識者の調査委員会を立ち上げていました。そのメンバーの一人が梅谷先生でした。

ムッタ:スペースシャトルのロボットアームは僕も覚えていますよ。

吉田:それがきっかけで宇宙探査ロボットの研究を始めたわけです。最初は梅谷先生の助手として、地球周回軌道上の人工衛星にロボットアームをつける研究をしていました。その後、1995年に東北大学の助教授に就任。ここで、今につながる2本柱の研究を始めることになります。

ムッタ:2本柱とは?

吉田:宇宙ロボットは大きく2つに分けられます。ひとつは、微小重力下で浮遊して動くロボット。先ほどの人工衛星にロボットアームを搭載するタイプはこれですね。もうひとつは、遠い惑星にたどり着いて地表を探査するロボット。いわゆる……

ムッタ:宇宙探査ローバー!

吉田:そうです。

ムッタ:強く望んでいたからこそ、おのずから宇宙にかかわる仕事へと導かれたのかもしれませんね。

吉田:僕はずっと宇宙が好きだった。好きだったからこそ、チャンスを見逃さなかったのだと思うんです。

ムッタ:いい言葉ですね。では、いよいよ本格的にローバーの話をお伺いします。そもそも、宇宙探査ローバーの歴史がどうなっているかを教えて下さい。

吉田:有人なら古いですよ。1971年のアポロ15号で月面にムーンバギーと呼ばれる電動の月面車を持っていって、宇宙飛行士が運転して月面を走り回っています。これは17号までつづいて、探査範囲を広げるのに役立ちました。

ムッタ:HAKUTOが開発しているような無人の宇宙探査ローバーは、いつ頃からあるのでしょうか。

吉田:僕が最初に無人の宇宙探査ローバーを知ったのは「ソジャーナ」です。これは、1997年に行われたNASAの火星探査計画「マーズ・パスファインダー」で使用された小型ローバー。大きさは全長65×全幅48×高さ30cmで重さは10.6kg。無人の宇宙探査ローバーが実際に使えるのかを実験する要素が強く、技術試験的なミッションを担っていました。

ムッタ:確か、約1万6000枚の写真を撮影して、大気や岩石の観測データ計測にも成功しましたよね。

吉田:この成功をもって、NASAは2003年、火星に「スピリット」と「オポチュニティ」という2台の無人宇宙探査ローバーを送り出しました。これは「ソジャーナ」よりもさらに大きく、全長1.6×全幅2.3×全高1.5mで、重さは185kg。太陽光発電を搭載していたのですが、10年以上動き続けていました。

ムッタ:そして、最新の火星探査用の無人ローバー「キュリオシティ」につながるんだ。

吉田:そうです。「キュリオシティ」はさらに大きく、全長3×全幅2.7×全高2.2m。重量は約900kgです。

ムッタ:HAKUTOのローバーはいかに小型軽量化するかに腐心しているのに、NASAは段々と大きくしていったのか。

吉田:「ソジャーナ」は電子レンジサイズ、「スピリッツ」と「オポチュニティ」はゴルフカートサイズ、「キュリオシティ」はもはや乗用車ですからね。

手前が「ソジャーナ」。左奥が「スピリッツ」「オポチュニティ」の同型機。右が「キュリオシティ」のテストモデル。(出典:NASA)

ムッタ:しかし、無人の宇宙探査ローバーの歴史が1997年からだとは、意外に浅くて驚きました。

吉田:いやいや、1997年からというのは、NASAが火星に打ち上げたローバーの話。実は、それ以前にもあったんです。

ムッタ:もしかして、ロシアですか?

吉田:当時はソ連ですね。「ルノホート1号」といって、1970年には月面を走行しています。ただ、ソ連時代の宇宙開発については、長い間、詳しい技術情報は日本を含め西側諸国に入って来なかったんです。

ムッタ:なるほど、ローバーの歴史はよく分かりました。では、後半ではHAKUTOのローバーの歴史について、じっくり聞かせて下さい。

吉田:こっちも色々と面白い話がありますよ。

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