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月面走行の命綱? SORATOの光学カメラ試験をレポート

2017.09.29

月面探査ローバー「SORATO」の“目”に相当するのが光学カメラだ。人間の目と同じように、月面探査機のカメラには、周囲の様子を見るという役割がある。危険だらけの月面を走るローバーにとっては、まさに命綱とも言える重要な装置だ。8月中旬、都内のスタジオでカメラの試験が実施された。今回は、この試験について詳しく見ていこう。

安全運転のためには、良く見える目が必要

人間の目は前方に2つ並んでいる。もし1つしかなかったら、平面的な画像情報にしかならないのだが、2つの画像の視差を利用することで、我々は立体感も得ている。生物が進化で得た、なかなか巧妙な仕組みと言えるだろう。

一方、HAKUTOの月面探査ローバー「SORATO」であるが、光学カメラは前後左右に1つずつ搭載。全方向を一度に見ることができるのは人間よりも便利かもしれないが、これだと立体情報は得られない。そのため、SORATOの前面には赤外線を使った3Dカメラ(TOFカメラ)を追加、岩石の検出などに役立てることができるようになっている。

Google Lunar XPRIZEでは、月面で500m以上走行することが求められている。しかし、月面を安全に走行するのは、決して簡単なことではない。

もし広々とした学校のグラウンドなどであれば、1kmでも2kmでも走るのは簡単だろう。でも月面は綺麗に整備されていないし、大きな岩がゴロゴロと転がっている。もし乗り上げて転倒でもしたら……。誰も助けに行けないので、その時点でミッションは失敗だ。

しかも、地味にやっかいなのが、電波の遅れである。月と地球は約38万kmも離れているため、電波の往復には、約3秒もかかってしまう。つまり、月面探査機に指示を出してから結果が分かるまで、それだけのタイムラグがあるというわけで、危険に気づいてもすぐに止めることはできない。

秒単位の遅れがある環境では、連続運転は危険すぎる。それに月面では、ただ一度の失敗も許されない。慎重に、少しずつ進んでいくしかない。少し進んでは止まり、周囲の状況を確認。どちらに進んだら安全か人間が判断し、次の行動を決めて月面探査機に指示を出す。この繰り返しが運用の基本になるだろう。

カメラからの映像は、運用時の状況判断に欠かせない。そして、より安全に運用するためには、映像はなるべく綺麗で見やすい方が良い。これをいかに実現するか。そのために実施したのが、今回のカメラ試験である。

最大の問題は、通信速度が遅いこと

今回の試験では、強力なライトで太陽を模擬し、月面における環境光を再現。実際に月面に行くのと同じカメラを使って、走行時/停止時にどのように見えるか確認した。見え方は光の方向によっても変わってくるので、SORATOを地面ごと回転させ、各方向(前後左右+斜め)からのケースについて、それぞれ試験を行っている。

試験の様子

前述のように、映像はできるだけ綺麗にしたい。しかし、ここで大きな問題になるのが、ランダー(着陸船)の相乗り先のTeamIndusから提供される通信回線の細さだ。今回の試験を担当したHAKUTOの清水敏郎氏は、「通信速度が遅いのでなるべく圧縮したいが、映像が見えにくくなると運用に支障が出てしまう」と難しさを指摘する。

基本的に、映像は綺麗にすればするほど、データ量は増えてしまう。逆にデータ量を抑えようとすると、映像品質の劣化は避けられない。通信速度は限られており、その上限を超えることはできないが、その範囲内で、なるべく映像を綺麗にしたい。そのためには、様々な工夫が必要となる。

まず考えられるのは、画像サイズ、フレームレート、圧縮方法などの選択だ。

画像サイズが大きければ、それだけ細かいものまで見えるようになる。たとえば画像をQVGAサイズ(320×240ドット)からVGAサイズ(640×480ドット)にすると、解像度は2倍に向上。つまり半分の大きさの石まで判別できるわけだが、その一方で、データ量は4倍になってしまう。

フレームレート(fps)は、1秒間に何コマの映像を送るかという単位。これが大きいほど滑らかな動きになるが(ちなみにテレビは約30fps)、当然ながらこれに比例してもデータ量が増える。ただ、SORATOの走行速度は最高でも秒速10cmとゆっくりなので、どこまでフレームレートを落とせるかがポイントになるだろう。

そしてさらに、データ量を少なくできるのが、一般に“圧縮”と呼ばれる技術である。画像ではJPEG、音声ではMP3などが圧縮技術としてお馴染みだろう。SORATOの動画では、H.264という定番の方式が採用される。圧縮は、強くかけるとデータは小さくなるが、品質は劣化する。これもバランスが重要だ。

画像サイズを大きくしてフレームレートを下げるのか、それとも画像サイズは小さくして圧縮を控えめにするのか。様々な方向性が考えられるが、それは今後検討していく。今回の試験では、その元データとなるJPEGの連続画像を取得した。このデータがあれば、後で様々なパラメータで動画を作成して、見やすさをチェックできるというわけだ。

高圧縮と高品質の両立は可能か?

この検討に協力しているのが、KDDI総合研究所の辻智弘氏。関わった当初は、「今まで4K/8K映像で何Gbpsが当たり前という世界で仕事をしていたので、急にkbpsと言われて驚いた」とのことだが、「やってみたらいろいろ工夫のしどころがあった。原点に立ち返ることができて、技術者としては良い経験になっている」と笑う。

KDDIは通信事業者である。映像の圧縮技術は通信とはあまり関係無いように思うかもしれないが、通信で映像を流すのは昔から最も一般的な使われ方だ。「ノウハウが無いと通信事業者も生きていけない」とのことで、数十年前から研究が行われているという。

H.264への圧縮処理自体はSORATOに搭載する民生品のチップを使うため、アルゴリズムをチューニングするようなことはできない。ではどこを工夫するかというと、それは撮影した生データをチップに渡す前に加工する「前処理」の部分である。

月面に特化したフィルタリング処理を行うことで、圧縮効率を向上させるのが狙い。たとえば、空の黒く映っている領域には何の意味も無いため、情報を大幅に削っても問題は無い。また、月面はかなりモノクロに近い世界なので、色情報を間引いても、それほど影響は無いという。ノイズを除去しておくのも、効率的な圧縮に有効だ。

ただ、悩ましいのは、本番まで通信速度が確定できないことだ。現時点で、TeamIndusからは50kbpsの通信回線が提供される予定ではあるが、彼らにとっても月面環境は初めてであり、実際の月面で本当にそれだけの通信速度が実現できるという保証は無い。場合によっては、もっと遅かったり、変動が大きかったりするかもしれない。

「通信品質が良くても悪くても、最後は映像が綺麗か汚いかで評価される。映像は最終責任を負うような立場なので、手抜きはできない」と辻氏は語る。どんな通信品質になるか全く分からないため、様々なケースを想定して準備しておく必要がある。通信データの欠落も考慮し、地上の受信側で映像を補間するような仕組みも考えているそうだ。

インタビューに応えるKDDI総合研究所の辻智弘氏

前後左右のカメラが全部違う理由

最後に、カメラの構成についても補足しておこう。SORATOに搭載される4つのカメラは、実は前後左右で全て構成が異なっている。

まずレンズの画角は、前後のカメラが狭めで(ナローカメラ)、左右のカメラが広め(ワイドカメラ)。前後方向がナローカメラなのは、進路上の岩などをなるべく細かく見たいからだ。一方、横方向はその必要性が無く、かつ車輪の様子をチェックする役割もあるため、ワイドカメラになっているわけだ。

そしてカメラ自体も2種類が使われている。前方と右側はA社製、後方と左側はB社製、といった具合だ。ちょっと違和感のある配置なのだが、なぜこのようになっているかというと、「全部同時に使えなくなることを避けたかった」(清水氏)からだという。

SORATOのカメラ配置図

もし全て1社のカメラを使っていたら、同じ理由で同時に壊れることがあるかもしれない。しかし仮にA社のカメラが2台とも壊れたとしても、B社のカメラが動いていれば、運用は続けられる。後方にはTOFカメラが無いという違いはあるものの、SORATOは前後どちらにも進むことができるので、その場合はバックで運用すればいい。

もちろん、月面で問題が起きないよう、事前の対策は行っているのだが、宇宙では想定外の事態が常に起こり得る。カメラのメーカーをわざと分けておくというのは、そうした想定外の事態までも考慮した、ユニークな設計だと思う。

インタビューに応えるHAKUTOの清水敏郎氏

ところで、前述のように通信回線が細いため、どうしても運用のための映像は粗い画質になってしまうのだが、せっかく月面に到達したのであれば、高画質な映像が見たいという人は多いだろう。そんな人は、ぜひ「ムーンキャスト」に注目して欲しい。

ムーンキャストは、Google Lunar XPRIZEのミッションで求められているタスクの1つである。月面到着時と500m走行後に決められたデータを送信する必要があり、その中には撮影した8分間のHD動画(720p)や、360°のパノラマ画像などが含まれている。

これは運用のようにリアルタイム性が求められるわけではないので、サイズが大きくなっても構わない。ゆっくり時間をかけて送信すれば良いから、運用で使う映像とは違い、画質を優先することができる。月面からどんな映像が届くのか、今から楽しみにしておこう。

映像の力は大きい。1969年、アポロ11号により達成された人類初の月面着陸は、世界中で大勢の人が中継を見守った。21世紀に生きる我々は、ついに民間初の月面着陸を見ようとしている。その挑戦の結果は、来年3月末までに判明するはずだ。

PROFILE

大塚実 / MINORU OTSUKA

PC・ロボット・宇宙開発などを得意分野とするテクニカルライター。電力会社系システムエンジニアの後、編集者を経てフリーに。最近の主な仕事は「完全図解人工衛星のしくみ事典」「日の丸ロケット進化論」(以上マイナビ)、「人工衛星の"なぜ"を科学する」(アーク出版)、「小惑星探査機「はやぶさ」の超技術」(講談社ブルーバックス)など。宇宙作家クラブに所属。

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